フィクションなんだからこのくらいでいいと思う
折角映画なのだから、自由がいちばん。 日本のフィクションももっと自由でいいのに。 日本の伝統芸能を見たときの、不自由なようで現代的規制のなさと似ている自由さをかんじました。
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『リアリティのダンス』のアレハンドロ・ホドロフスキー監督が自身の青年時代を虚実入り混じった手法で瑞々しく描く。物語は、ホドロフスキー家が故郷トコピージャから首都サンティアゴへ移住するところから始まる。青年アレハンドロは、自分への自信のなさと抑圧的な両親との葛藤に悩み、この環境から脱し何とか自分の道を表現したいともがいていた。ある日、アレハンドロは従兄リカルドに連れられて、芸術家姉妹の家を訪れる。そこでは、古い規則や制約に縛られない、ダンサーや彫刻家、画家、詩人など若きアーティストたちが共に暮らしていた。彼らと接していく中でアレハンドロは、それまで自分が囚われていた檻から、ついに解放される。エンリケ・リンやニカノール・パラといった、後に世界的な詩人となる人物たちとの出会いや、初めて恋に落ちたステジャ・ディアスとの会遇によって、アレハンドロの詩的運命は、新たな未知の世界へと紐解かれていく。
(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE photo:(C)Pascale Montandon-Jodorowsky
折角映画なのだから、自由がいちばん。 日本のフィクションももっと自由でいいのに。 日本の伝統芸能を見たときの、不自由なようで現代的規制のなさと似ている自由さをかんじました。
リアリティのダンスと同時期にとられたのか、区別がつかない。映像魔術師?
癒すためのアート、生きる活力を与えるための表現。 突飛だけど、とってもユーモラス。 またこの先の人生で見たくなるだろうなと思った。
芸術や他人との出会いを人生の鏡とし、自己の不在や世界の不安定を錯覚するも、 満ち溢れる生のエネルギーがその絶望と虚飾の逼迫を乗り越え、圧倒的な詩性とイマジネーションの祝祭を以て豊かに映像を彩る、新たな希望への断章。
生きてる意味って何だろう? 多分何回か自分に問いかけるベタなお恥ずかしい質問。ぐるぐる考えずにそのまま飛び立て〜!行け〜!って押された感じでした笑 エルトポは私には少し難しく感じたけれど今回はストレートにホドロフスキーの言葉が胸に響きました。 最近お疲れ気味の方に是非是非おススメです。 映像も良いです! エルトポの時もそうやったけど、映画みた帰りの電車とか街並みが幻想に見えてくる、ホドロフスキー現象にもかかりました✌️
生きることの素晴らしさを改めて感じることのできた作品!!! 生きることの絶対的肯定。 作品の中の詩1つ1つは現代を生きる我々の心に刺さるものばかり。 特に、 人生の目的は?という疑問に対する、 生きろ!という答えには鳥肌が立った。 混沌で複雑だと感じていた人生というものが、こんなにもシンプルなものということを忘れていた。 アレハンドロホドロフスキーのマジックリアリズム。 恐ろしいくらいに自分の心に突き刺さり、歳をとるごとに忘れいくさまざな感情や考え方というものを思い出させてくれた作品となった。
「リアリティのダンス」から約4年、88歳アレハンドロ ホドロフスキーの過去の行脚の旅はまだまだ終わらない。 奇想天外な芸術家仲間に真正面から飛び込んで、彼を取り巻く世界は躊躇も忖度もなくサーカスさながらだ。 鮮烈な赤色が印象的な本作は、私たちの体の中で今もどくどく流れる血のように真っ赤に染まっていてまるで作品全体で私たちに「生きるんだ!」と叫んでいるようだった。 私たちは、思い出したくないような恥ずかしい事も、他人にした残酷な事も、トラウマになるような哀しい思い出も、そのどれもこれも無にはできないから、すべて背負って生きていかなければいけない。 だけどホドロフスキー監督は過去の自分の姿を通して私たちの恥も、罪も、後悔も、絶望もみっともない「生」の全てをひっくるめて肯定してくれているようにも見える。 彼にはまだまだ生きてこの先90歳過ぎてもこの、強烈なマジックレアリズムの世界でこれからも私をとことん惑わしてほしい。
カルト監督ホドロフスキーの自伝小説映画化第2弾 青年編です(少年編がリアリティのダンス)。何が凄いって88歳でこんな映画を作ってしまう元気なおじいちゃんが凄いです。で面白い。見ると前向きな気分になれます。この監督の「サンタ・サングレ」が僕の生涯の一本なのですが、刺激が強すぎるので、色々な節を重ねちょっとまろやかになったこの作品あたりが、今の僕には丁度良いかもしれません。続く次回作の構想もあるようなので、なんとか完成させて頂きたいです。