円環の理とはどういうシステムだったのかという映画
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結果的に面白かった、かなり面白かったが、よくゴーサインを出したなこれ。 終わってみると確かに完結編、ではなくなるのかもしれんが、前の続きをやるなら円環の理とはどういうシステムだったのかを語る映画になるのは妥当。 セカイ系って言葉の意味がわかってないが、これはセカイ系とかではなくもう哲学系ですよ多分。そういう風に観てしまった。 それをアニメというしかも大作シリーズでやっちゃう豊かさはマジですごいと思う。ただ、わかるのこれって哲学興味ない人が。 哲学バグってたんすよね、300年くらい。「我、思う故に我あり」、これがバグってる。「我、観測される、故に我あり」だから。 最近はゲームで「我、記録する、故に我あり」をよく使ってるけど、今回のだと「我、まどか(円環の理)に記録される、故に我(魔女ではなく我として我)あり」の筈なので、多分これがわからないと終盤のグラフィックは意味わからないと思う。(序盤もわからんか、むしろ序盤のほうがわからん、意味がわかるのが終盤なので) まぁこれにプラスして人間という枠を越えちゃう、まどかは因果を越えて全ての魔法少女と同時に会話可能、マルグリーテ?マルグレーテ?はこのスキルが足りなかった。あとはまぁ元の少女としてではなく、魔女として記録したので魔女になっちゃうみたいな。 でもねぇ、これまだバグがあるのよね、そもそもこの路線で行くならインキュベーターの理論は成り立たない、絶望で相転移してエネルギー、できねぇよ。 記録から消えるって事だろ?エネルギーは変わらない、観測出来なくなるだけ、増えません。もしかしたら次でやるのかもしれないけど、外の宇宙がなぁ、これも出来ない。次の宇宙ならある、前の宇宙もある。でも外は無理、まぁ神の世界、上位世界みたいなイメージなのかもしれんがそれって次の宇宙なんだよな。高次元を上位というパターンもあるが、それは自分も内包されてる奴なので。4次元は当然3次元を含む、上位の人は私で出来ていますになってしまう、外じゃない。 まぁこれくらい語りたくなるくらいのパワーはあったが、バグの部分と前半はちょっと寝ちゃったな。まどかが出てきてから目が覚めた。 映像はずっといいんだけど、意味がわからなかった。多分もう一回見たらわかると思う、終盤はわかったので。 あとは、やはりなぎさがめちゃくちゃかっこいい、波動砲はもう笑ってしまった、誰も笑ってなかったけど。なぎさはわかりやすい、そして本質をついている、会話を続けるということが記録であり愛するということなので、もうめちゃくちゃカッコいい。 さやかはまどかと話したい、みたいな着地をさせるのかと思ったらほむらに託すのはグッときた、確かにそれが無難。まどかは多層展開、ほむらはまどか一点特化で両方人間やめますって話なので、バランスがいい。(流石に普通は私も人間辞めるわ、友達だもんね!にはなれない。人間じゃないか、魔女か、まぁでもどっちも同じ、次のレイヤーに行ってしまっている、まどかとほむらは) エンドロールでまどかが外にいってしまっても、歩き続けるのはエモい。こんなところか、細かく言ったらマルグリーテ、お前愛されてたじゃねぇか、波動砲で。みたいところもあるが、大筋こんなもんだな。人と話したい映画ではあった あとは「あにこれ」の評価軸を観てておもったけど 声優は多分この話を理解して演技は流石に厳しい気がする わかるのかな、だとしたら凄いが 「名前のない人」とか理解できたら凄いよ、人間辞めちゃってる多分 円環の理で存在が消えて、ほむら世界になったことで更に記録を消されようとしている主体なので 勝手に消してんじぇねぇよって感じでありながらまどかになりたかったってもうわかるけど圧縮率がヤバすぎる デカルト、フッサール、レヴィナス、ドナルド・デイヴィドソンと読んでいくと多分構築可能になる この映画の概念を 読まねぇよ普通、多分、まぁ今はAIがあるからわりと読めるんだけど まぁ全く制作意図とは違う着地をしている可能性もかなりあるが、解釈ってそういうものなのでね あぁ、あとそうだ、これはハッピーエンドなのかバッドエンドなのかビターエンドなのか 自分の解釈だとハッピーエンドになるな まどかは前に進みながらほむらが来ることを待っている(恐らく) ほむらはまどかを追い続ける(幸せ、これはかなり人を選ぶ恐らく) さやか達(ほむらに託した。打ち上げいこうぜ) なぎさ(楽しかったのです)