☆3.8
映画館の大画面に映されるモロうんこ。それにケーキみたいに包丁を入れる衝撃たるや。 (一方で、小動物の死体や虫にそこまで衝撃はなかったことを考えると、うんこがどれだけ社会的、生理的に直視できない代物なのかを実感した。) 都会では流され圧縮さ… 続きを読む
映画館の大画面に映されるモロうんこ。それにケーキみたいに包丁を入れる衝撃たるや。 (一方で、小動物の死体や虫にそこまで衝撃はなかったことを考えると、うんこがどれだけ社会的、生理的に直視できない代物なのかを実感した。) 都会では流され圧縮され焼却されCO2になって終わるもの、「汚い」「気持ち悪い」の一言で忌避されるもの、そんな「鼻つまみもの」たちに自ら接近し研究し、目を輝かせる者たちの存在が、人間が地球の循環の輪の中にいるという忘れがちな事実を提示する。 2015年頃、「海で切り身が泳いでいると思っている子どもがいる」という都市伝説が話題になったが、経験していないもの、見たことがないものが疎遠になり、忌避の対象になってしまうのは当然だ。我々も「若者の〇〇離れ」よろしく、「うんこと死体離れ」した、きれいに整備され過ぎた世に生きているのかもしれない。 ただ、実際問題、し尿・死体との近さは感染症との近さでもあり、上下水道の整備に伴う衛生状態の改善は感染症を未然に防ぎ「弱い人」の安全な生活を救ってきた歴史がある。 その点から考えると、関野がアマゾンに住んでいる部族に憧れ、原始的生活への回帰を夢見ることができるのはひとえに彼が健康な肉体を持つ、生理がない、男性という「強者」だから許された目線と生き方ではないかと思わざるを得なかった。 原始的生活の旧石器時代と「チャラチャラなSDGs」が持て囃される21世紀の間には直接比較するには遠すぎる時間的、社会的の隔たりがある。戻れと言って戻れるものではないだろう。ドキュメンタリーというより教育的な作品になってしまうだろうが、制作側がここの間を歴史的に補うことができれば、本作の登場人物たちが必要以上に「浮いた人」に見えてしまう印象は軽減できるのではないだろうか。 自分が排出するものの行く末はどうなるのかを知り、現行の「処理」ではなく衛生的に安全に「活用」方法を考えることがベターだろうか。 そもそもなぜ排泄物がここまでの「鼻つまみもの」になったのだろうか。価値観や社会の変化って昨日今日で起きたわけじゃないはず。し尿・死体処理に纏わる感染症や社会制度の歴史ってどうなっているんだろう。国によっても違うはず。 うーんいろいろなことを考えさせられるな、つまりうんこってすごい。