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ストーカー(1979) ポスター

ストーカー(1979)

5.0 163分 1981/10/01 (木) 公開
SFソ連
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あらすじ

タルコフスキーの名を世界映画史に刻印した作品。SF愛好者なら知らぬ人のいないストルガツキー兄弟が、自らの原作をもとに脚本も執筆。隕石でも落ちたのか、大地に突然現れた空間<ゾーン>。その中には願掛けの<部屋>があると言われ、<ストーカー>と呼ばれる部屋案内人の三人の男たちがいた。

場面写真

キャスト・スタッフ

監督
アンドレイ・タルコフスキー
キャスト
アレクサンドル・カイダノフスキー/アナトリー・ソロニーツィン/アリーサ・フレインドリフ/ニコライ・グリンコ ほか
配給
パンドラ

クチコミ

ハル ネタバレ

夢みたいに優しい映画

- 6ヶ月前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む

とても優しい映画でした。 観終わってすぐの時は、 子ども向けの絵本の巻末の「おうちのお母さんの元に帰った」描写さながらの、ストーカーにとって甘ったるい冗長なエンディングに反感を覚えました。 彼は必死に引き留める妻を「俺にとってはどこだって牢獄だ」と捨て置いて、ハンデのある子どもの養育をも放棄して、法を犯して死地へ向かい、ゾーンだけが救い、と宣う訳です。 喫茶店の知り合いに「家族を頼むぞ」と一声かけたぐらいで、実際のところ何の責任を果たした事になるでしょう。そんなのは彼の自己満足に過ぎないと思います。 ところが、ゾーンから帰ると、 妻はわざわざ子どもを連れて喫茶店まで迎えに出向いてくれており、 ストーカーの思い通りにはならなかった作家には柔らかくアイロニカルな一言を投げて、終始ストーカーに寄り添うスタンス、 連れ帰った犬の存在も許容してミルクを出してくれ、 上着を脱がせてベッドに寝かせ、気つけ薬まで手ずから飲ませて休ませてくれるのです。 この妻が本当に恐ろしい存在で、 譫言みたいに「みんな俺を理解しない」「(ゾーンの)幸福を信じない」「もう誰も連れて行くか」と興奮状態のストーカーを優しく宥め、「私が一緒に行ってあげようか」とまで言ってくれる。 ストーカーが無事寝付くと、「好きになったから仕方ないのよ」と、実家を捨ててまで連れあってくれたらしい旨を一人語りする。 というかそもそも、死地へ行くのも半狂乱で必死に止めてくれるし、 いつ帰るか、そもそも帰るともしれないのに出迎えにまで来てくれるし。 そしてストーカーの自宅には大量の高価そうな本。壁一面の本棚。 一見労働者階級の探索者みたいな風体であり、前科もあって不安定で不法な仕事をしているらしいのに、豊か。 この作品は恐ろしくご都合主義で、正直なところ勧善懲悪モノの時代劇なんかも真っ青なくらい、私たちに優しい。 ・社会に受け入れられない痛みを抱えている ・生死隣り合わせの不法で特別な探索者という設定 ・人に受け入れられない哲学を思索し続けているかのような『ストーカー』という概念的な存在 ・作家の言うところの「自分の無意識の本当の願望とやらの腐肉」であり、ストーカーの言うところの「希望」を依頼人に与える利他の使命を持っている、という大義名分 ・「ゾーン」はどこか美しく郷愁を覚える、たしかに彼の居場所である ・「ゾーン」の方から彼に懐いているかのよう、「ゾーン」の面影みたいに黒い犬が慕って家まで付いてきてくれた ・『青い鳥』よろしく、幸せはたしかに家に戻ったらそこにある、彼はすでに手に入れている ・これは観る人みんな堪らないだろうな、と思うのが、高尚な存在らしい作家も教授も結局ストーカーの哲学を理解しえないこと ・理解できない上で、彼の必死さを受け入れてはくれて、ゾーンの破壊を止めて、彼の宝物であり居場所を侵さないでくれること たいていの思想の探索者たちは、偏屈にも、理解されない事こそが、殉教者みたいに孤高で美しく素晴らしく自己陶酔を完成させるありがたいスパイスである事を知っているでしょう。 正直、この人何だって手に入れていて、この映画はこの人に優しすぎるだろう、と思わざるを得ない。 だけどどうだろう、自分がもしストーカーであったなら、!これはそういうファンタジーだ。 一人きりの思索に疲れ、人の共感・理解も得られず、でも妻がいて子どもがいて、本があって、 妻は何もわからないなりに「一緒に行こうか」とまで言ってくれ、ストーカーは「絶対ダメだ、お前を失いたくない」と自身の安全基地がすなわち妻子である旨を自認している。 社会に受け入れられない自分が特別に活躍できる背徳的で、でもどこか懐かしい場所があって、その面影を宿す黒い犬まで慕って着いてきてくれて、、 あまりにも、ありがたすぎる。嬉しすぎる。いつだってこんな夢を見たい。 この作品にはそういうありがたいカタルシスがふんだんに含まれています。 そうして、 映画の最後ではハンデを持つ彼の子どもに神秘の能力が宿ります。 正直この描写がなかったら、私はストーカーに優しくできなかったかもしれません。 というのは、 つまるところ、子どもに『ゾーン』の神秘現象じみた能力が宿るというのは、 それ自体はけして彼女の行く末やハンデをカバーするほど目覚ましい能力ではありませんが、 ストーカーの探索の結果が子どものギフトに帰結するということは、 とりもなおさず、彼の無意識の望みが家族の幸せに他ならない、ということを表していると思ったからです。 なーんだ、両想いか。 結局家族が大事だから家族も彼が大事なんだ。 滴る水に凍え、ぬかるみの硬い石に体を預けてまんじりともしない、冷え切った探索者の自分にあたたかく血が通う感覚。 こんな好き勝手に思索に身を預けて社会からあぶれている私の無意識の望みが、そんなあたたかくて優しいものであったらいい。 いや、本当の私はそうだったのか。そう思いたい。思わせてくれる。 誰にも理解されない哲学的思索のうろに落ち込んで、自分を見失い、でもこれだけがアイデンティティ、自分自身に他ならない、そしてきっとこれはどこかの同胞・誰かの幸せのためでもあるのだ、と不器用で必死でもがく日々に、 こんなに救いがいただけるとしたら、 なんて甘美な2時間半余でしょう。 たまにはこんな夢を見させてもらったっていいんじゃないだろうか。 この映画そのものが、われわれ日々の探索者たちの深層心理の望む幸福を叶えるゾーンそのものであり、希望である、 そんな優しい、優しい映画でした。

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