100才まで、みんなのお役に立とうよ。
75才なんて、今時こんなに年老いてない。まだまだこれから。みんなのお役に立ちつつ100才を超えて、ピンピンコロリを目指そうよ。自殺幇助にお金かけるなら、元気に活躍してもらえることにお金をかけよう。自殺も自殺幇助も地獄行きですよ。
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是枝裕和監督が総合監修を務めたオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』の一篇『PLAN 75』を新たに構築、キャストを一新した、早川千絵監督の初長編映画。 75歳以上の高齢者に自ら死を選ぶ権利を保障し支援する制度”プラン75”が施行され、その制度に翻弄される人々の姿を描く。年齢で命が線引きされてしまうことの恐ろしさとそのようなシステムを⽣み出してしまう社会構造や人々の意識に対し、痛烈な批判を込めて、生きるとは何か、を問いかける。
75才なんて、今時こんなに年老いてない。まだまだこれから。みんなのお役に立ちつつ100才を超えて、ピンピンコロリを目指そうよ。自殺幇助にお金かけるなら、元気に活躍してもらえることにお金をかけよう。自殺も自殺幇助も地獄行きですよ。
Netflixで、鑑賞しました。 もっと、短い方が効果的なシーンが、何箇所かあったと思いました。 もったいなくみました。 と言っても、個人的な感想です。 映画の内容は、とても興味深く 今現在でもまわりを見渡せば年寄りばかり。自分も含め。 これが、10年後、20年後となったら ものすごいことになると思う。 ミチさんが、なぜ生活保護をしなかったのか、理由がわからない。家借りやすいと親切に言ってくれたのに。 歳をとると人の親切も聞かない 素直さがなくなるという表現だったとは思うが。
見てられなかった。 息が詰まる。苦しさに溺れそうだった。 引っ越しの手続きをしているかのように淡々と安楽死の申込をする高齢者と役所の担当者。 申請をするその背景には、経済的余裕がなく、職にも就けない、定職がないから家も借りられない。 社会ではPLAN75という制度が軽々しく存在してカラフルなイメージアイコンはとても安楽死への誘いとは思えない。 少子化が進む中で社会の負担であると高齢者を誘導して死を迎えることが社会のためであると同調圧力をかける。しかも対象となる高齢者以外はそれを感じてすらいない。 行き場のない孤立な高齢者だけが身を潜め、静かに手続きを行って死んでいく。 これは高齢者だけの問題ではない。 なぜなら日本は少子化が現在進行形で進んでおり、今の子どももいずれ同じ多数の高齢者という立場になる。 自分より年下の人々に支えられ、負担をかけていると自責の念に駆られて死を選ぶのは未来の自分かもしれない。 安楽死は今、死ぬ権利ともてはやされ海外では急速に拡大している。 確かに死ぬ場所や死ぬ時期を自分で決められる方が尊厳ある死なのかもしれない。自分の思い通りにならない身体を抱えて、社会に負担をかけてまで生きたいとは思えないのかもしれない。自分もずっとそう思っていた。 ただ、現実で安楽死が制度化された国ではその範囲が拡大され、本当は死を望んでいなかった人にも介護の延長として安楽死が提供されている。臓器提供ビジネスと結びつき様々な思惑が跋扈している。只事ではない。 人間は遂に同じ人間を合法的に殺しているのだ。 コールセンターの彼女は電話で止めることもできた。 それをしなかったのは間接的に人を殺してることになるのではないか。薬を投与する医療関係者が行なっていることは果たして医療なのか。もっと先にすることがあるのではないか。安楽死を制度化した場合、死を手助けする人たちに私たちは責任を帰せることになる。 これはエンタメではない。 飛躍した話ではあるが日本でも実現しうる未来だ。 特に同調圧力のかかりやすい日本において安楽死制度は慎重に検討されなければならない。 改めてそう思わされる映画だった。 最期の朝を迎えた時、部屋に差し込む朝日に手をかざし "生"を実感しているあの瞬間が如何に尊く、如何に恐ろしいか。 死をまさに目の前にしてまだ生きることを選択した主人公が迎えられないはずの日を再び目にして何を思うか。 我々は問いかけられている。
リアルに感じられる設定だった。 観る人に考える余白を残した映画。 プランは私はありだ。 映画自体は少し物足りない感じが残った。
倫理観の問題だと思うが、ありそうで、ありえない話。