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セッション ポスター

セッション

4.5 107分 2015/04/17 公開
ドラマ音楽青春Gアメリカ
チケット予約

あらすじ

『グランドピアノ 狙われた黒鍵』などの脚本を手がけたデイミアン・チャゼル監督の長編2作目にして、2014年サンダンス映画祭のグランプリ&観客賞受賞を皮切りに世界各国の映画祭で旋風を巻き起こしたオリジナル音楽ドラマ。名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠......。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。果たして、フレッチャーはニーマンを栄光へと導くのか、それともたたきつぶすのか?ラストステージ― 二人が見せる衝撃の〈セッション〉の結末は?

場面写真

予告動画

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キャスト・スタッフ

監督
デイミアン・チャゼル
キャスト
マイルズ・テラー/J・K・シモンズ/メリッサ・ブノア/ポール・ライザー ほか
配給
ギャガ
公式サイト
https://gaga.ne.jp/session4K/

クチコミ

最高にすっきりした傑作

- 11年前
爽快感。この一言に尽きる。セックスも、面倒な女々しい会話も、気取った内心描写も、クソみたいな女も、アメリカ映画に1人は必ずと言っていいほど出るアル中や薬中(大体矯正中で出てきてはウダウダやる)も何ひとつ出てこない。 食傷気味の鑑賞力を断食し… 続きを読む

爽快感。この一言に尽きる。セックスも、面倒な女々しい会話も、気取った内心描写も、クソみたいな女も、アメリカ映画に1人は必ずと言っていいほど出るアル中や薬中(大体矯正中で出てきてはウダウダやる)も何ひとつ出てこない。 食傷気味の鑑賞力を断食してくれる。 ひとの定義に(いい奴なのか、クソッタレなのか)あまりフィルムを使ってない。非常に若さと強さを感じさせる構成だった。 鳥肌は立つが涙は誘わない。 今年の個人ベスト。

TwoD ネタバレ

ラストは圧巻

- 10年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む

やっと観ることが出来ました。 前評判が高いため期待せずに観に行きましたが、久しぶりに良い映画にあったと感じました。 自分の2015年No.1ですね。 ストーリーは在り来たりと言えば在り来たりなのかもしれないですね、名門音楽学校に入ってしごかれ成功と挫折を繰り返しながら成長していくお話。 テーマをざっくりすると、ゼロから這い上がる。みたいな。一流は全てを捨てた先に辿り着けるみたいな。 それは長尺ながら全くブレない。 脚本の素晴らしさと演奏のレベルの高さ、また演者も素晴らしく文句なしの映画でした。

Lynn Song

今まで観た中でダントツ一番

- 10年前

最高でした。すでに見るの3度目です。何度見てもラスト19分は素晴らしい。後半は無意識に身を乗り出して見ています。テンポが速くて140分はあっという間に感じました。ラストを観て新たに発見できるところや、前のシーンのセリフの意味などがわかって何度も観たくなります。

Takayuki Komuro ネタバレ

芸術性の問題を仄かに描いているところを見逃すな!

- 10年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む

 2015年4月、日本での公開前後から既に各所から絶賛の声多数ながら、ジャズミュージシャンの菊地成孔氏が絶賛一辺倒のレビューに疑問を呈す形で、批判的な意見を公開。そこに映画評論家の町山智浩氏が噛みつくことで論争になりました。  いまから振り返れば、そもそも町山氏はアメリカでもジャズに造詣のある層からは批判的な意見があることを承知していることを勘案すると、話題作りのために炎上させた感も正直拭い切れませんが、ここではその話を置いておきます。  菊地成孔氏を含む、ジャズを愛する層からの批判を一言でいえば「ジャズとは、この映画で描かれているような音楽ではない」という点に尽きるでしょう。フィギュアスケートでいえば「技術点」ばかり問題にされ、「芸術点(※もはやこの呼称も、20年以上昔のものとなりますが)」の部分はなおざりにされており、クラシック音楽でいえばヴィルトゥオーゾ礼賛、あるいは機械ような正確さを史上のものとし、正当化される価値観。鬼教師(鬼軍曹といった方が適切?)フレッチャーの狂気によって生まれる音楽を賛美する映画……批評を読んだ段階ではそのような映画だと思っていたのです。  ところが、実際に映画を観てみるとそうではない。むしろ、そのように受け取っているのは間違いとまでは言わないものの(制作陣からすれば織り込み済みの範囲だろう)、実は各立場にむけて絶妙な目配せをしてある映画でした。  語弊を恐れることなく、極限までこの映画を要約すれば、「教師と生徒が、いがみ合いつつも、同じ方向性で究極の音楽を目指す。倫理的・社会的にはアウトですが、こんな凄い音楽が出来てしまいました。それを、あなたはどう思い、どう感じますか?」ということになるでしょう。  日本の「スポ根」ものでは、結局美談として回収されがちな「倫理的・社会的にはアウト」という部分がキッチリと描かれている点が、「並のスポ根もの」というジャンルに回収されない上で大事な要素を担っています。日本のスポ根ものを見慣れている人々は誤解してしまいそうですが、映画内では決して「倫理的・社会的にはアウト」でも良いのだ!…とまでは肯定しておらず、その判断は映画を鑑賞した聴衆に任されているという点が大事なのです。 主人公アンドリューが他のすべてを投げ打ち、(文字通り)命をとしてまで、音楽だけの没入してしまうのかのバックグラウンドを最小限巧みに描きながら、天才を生みだすことに執念を燃やす鬼教師フレッチャーの動機が「単なるエゴ」であることを最終的に暗示することで、ラストシーンでのアンドリューのエゴイスティックな行動を引き起こすという見事な脚本には舌を巻かざるを得ません。  もう一点この映画の興味深いところは、この教育から「バディー・リッチは生まれても、チャーリー・パーカーは生まれない」ということを鬼教師フレッチャー自身も薄々感づいている点でしょう。チャーリー・パーカーの演奏は素晴らしいが、それは速さや正確性によるものではなく、簡単にいえば創造的なオリジナリティによって生じるもの。しかしながら、あの鬼教師フレッチャーの指導からは創造的なオリジナリティは発生し得ない。優秀な卒業生が、ソロのアーティストとして活躍したとは語られず、ウィントン・マルサリス(現在、保守系ジャズを代表するミュージシャン)のビッグバンドの首席トランペット奏者になったことが美談として語られるのも象徴的です。音楽映画を撮る際に大きな問題となる「センス」「音楽性」の部分を、あえてスポイルしている本作が、その点に対し絶妙な目配せをしている部分として、決して見過ごせないポイントといえます。  そして映画の見方を分岐する、地味ながら重要となるポイントは、鬼教師フレッチャーが演奏するピアノをどう評価するか? ここの評価いかんによって、件のラストシーンの解釈が変わってゆきます。ここだけは、制作陣がどういう狙いで「あのピアノ演奏」にしたのか分かりかねました。監督デイミアン・チャゼル(1985年生まれ!?)がこの点を、あえて狙っていたとしたら、なおさら恐るべき才能だなあ。  音楽に造詣があってもなくても、色々な見方が楽しめる「狂気に満ちた」一作としてオススメです。

芝田山親方

5人以上に勧めました

- 11年前

友達が少ない僕ですが、5人以上には勧めました。観るべきですと。

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