来る
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
イクメンブロガーとしてチヤホヤされている田原秀樹(妻夫木聡)の周りで怪現象が頻発。周囲の人間に危害が及んだことで事態を重く受け止めた秀樹は、民俗学を研究している友人の津田大吾(青木崇高)を頼り、オカルトライターの野崎和浩(岡田准一)とキャバ嬢除霊師の比嘉真琴(小松菜奈)を紹介してもらう。 ◆ 呼ばれたんや。 2015年の日本ホラー小説大賞を受賞した『ぼぎわんが、来る』を映像化した作品。ジャンプスケアやおどろおどろしい恐怖映像ばかりに頼らない、作品全体から滲み出る気味の悪さが非常によく出来た作品だと感じました。 ジェイホラーを代表する『リング』の貞子や『呪怨』の伽椰子のように強力な怨霊が田原家と彼等に関わる人々に次々と襲いかかるのですが、その正体が決して明らかにならない部分がすごかった。鑑賞者に考える余地を与える余白が絶妙です。 例えば、スリガラスの向こうに映る人影。 例えば、受話器の向こう側にいる話相手。 例えば、公衆トイレの扉をノックする音。 間違いなく〝そこにいる〟 のに実体が掴めない。そんな輪郭がぼやけた存在に対する薄気味悪さが強調されていました。 乱杙歯で噛まれた様な傷跡。 突然吹き飛ぶ霊媒師の片腕。 リビングに横たわる上半身。 怨霊が襲ってくる際、「物理で殴る」いうよりは「原因不明の突然死」というイメージがあったので、霊的な存在である「あれ」が激しく物理的な損傷を負わせてくるという部分にギャップを感じました。 ◆ 「あれ」に呼ばれてしもてん。 今作で怨霊よりも恐ろしく感じられたのが生身の人間たちでした。妬み、嫉み、不平、不満、侮蔑、後悔など、登場するキャラクターたちは皆一様に心の闇を抱えています。 外面だけを取り繕う事に奔走している一家の主と、育児ノイローゼでネグレクトになってしまった母親。序盤の田原家での法事の場面から、この夫婦の在り方は疑問でした。夫婦という密接な関係であるにもかかわらず、相手への配慮に欠ける接し方。破綻した夫婦の元へ「あれ」が「来る」のですが、父親の側も母親の側もあまりに脆くて弱い。 この夫婦は我が身可愛さ故に何もかも全て自らの手で壊しきってしまった。手遅れになってしまった後で、それが本当に大切なものだったのだと気付いたようでした。現実とかけ離れた妄想のブログや、自己肯定感を高めてくれる相手の元へとそれぞれ逃げ込んでしまった二人。両親から相手にされない一人娘が「あれ」と遊んでしまったことは必然のようにも思われます。親と怨霊のどちらが子供を守ろうとしているのか、正直わからなくなりました。 一方で、過去のトラウマと向き合うことが出来たように見えた野崎と真琴。二人が田原夫妻と同じ結末を迎えないことを祈るばかりですが、オムライスの国はポップな見た目に反してあまりにも闇深く感じてしまいます。 ◆ あんたも呼ばれるで。 ラスボスとバチバチのバトルを繰り広げるというのが最近のジャパニーズ・ホラー作品のトレンドなのでしょうか。今作でも最後はアパート全体を祭壇に仕上げる大掛かりな除霊の儀式が執り行われ、その中で少年漫画ばりの霊能力勝負が繰り広げられていました。 並の除霊師では太刀打ち出来ない程に強大な力を持つ「あれ」と対峙したのは、真琴の姉であり日本最強の霊能力者である比嘉琴子(松たか子)でした。琴子を慕い日本全国から集まった除霊師たちは、沖縄のユタや神社の宮司、巫女や神官など様々。サングラス姿のファンキーな凄腕除霊師を柴田理恵が好演していたりと、ホラー作品らしからぬキャラ立ちした人物ばかりでした。バトル物の少年漫画に出てくるキャラクターたちの様でしたが、最終的な「あれ」との決着はハッキリとさせず、後味悪く濁されていました。 原作小説では「ぼぎわん」と名を与えられていた不定形の怪異を、実写化作品では名前すら取り除いて「あれ」とのみ呼称する。得体の知れない何かに対する恐怖が、徹底的に追求されていたように思います。